ギャンブル依存症と強迫性障害の関係

いきなりですが、私、ギャンブル依存症っぽいのです。

少なくとも、妻は私のことをギャンブル依存症だと思っているそうです。笑

一昨年くらいから毎週末に中央競馬会の方に、少しずつ投資をし始め、これが初めのうちはかなり良い調子で進んでいたんです。しかし、調子に乗って投資を大きくしていくと、全く回収できなくなってきてしまい、さらに投資額はエスカレートしていきます。そしてもう機械的に毎週やらないと落ち着かなくなってきてしまい、去年は給付金2人分くらいは失ったような覚えがあります。笑

ここまでくると、世間的にはもう立派なギャンブル依存ですか。

強迫性障害」と、「ギャンブル依存

一見関係無いと感じそうなのですが、一つ共通点を見つけたので、今回はこれをご紹介しようと思います。

その共通点は

〜かもしれない」ということへの執着です。

強迫性障害って、「手が汚れているかもしれない」や「鍵を閉め忘れたかもしれない」「ガスの元栓を閉め忘れたかもしれない」といったように、「〜かもしれない」という可能性を健常人と比較して異常に気にする病気だと思うのです。

私は、20歳ぐらいの時に大学で心理学を専攻していたのですが

「なんで自分は大学の教室の床が汚いと思うのか?」ということを考えていったことがあるんです。

その時に辿り着いたのが

「トイレ(和式)では、うんちを便器外にしてしまうことが起こったかもしれない

「そのうんちを誰かが踏んでしまったかもしれない

「その汚染された足で、トイレから出てきたかもしれない

「その足で教室の床を歩いたかもしれない

∴「教室の床は、トイレの床と同等に汚い

こう考えていたことに、気づいたのです。

これは、可能性があるかないかでいうと、あると考えられます。

しかし、こんな可能性のことをいちいち考えていたら、世界は汚すぎて生きていけません。笑

健常人の皆さんは、「目の前の床が見た目上綺麗であれば、汚く無い」と判断すると思います。

私、強迫性障害な人は「目の前の床が綺麗に見えたとしても、前述の通り、汚れている可能性を頭の中で想像し、”〜かもしれない”の連続で綺麗だと感じることが出来ない」のです

このように、強迫性障害では、「わずかでも起こりうる可能性があり、100%否定できない事柄=”〜かもしれない思想”に異常に執着する」ことが病気の根幹なのでは無いか、と私は考えているのです。

そして、ギャンブルでは「今回は当たるかもしれない!」といった、完璧に強迫性障害の思想をくすぐる構造となっていることに、私はつい最近気づいたのです。笑

ということで、私は、本当にギャンブル依存症なのかもしれません。

いや、ギャンブル依存症です。

メカニズムがわかったので、早速対処しようと思います。

それでは

たぬでした。

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