私は、幼少期、汚いと思ったものに触れたり、頭の中に汚い概念が浮かび上がってきたら、ずっと手を洗っていました。自分だけで収まっているうちはまだいいものの、その症状がひどくなってくると、家族の誰かが汚いものに触れたり、私からみて汚いと感じたら(理不尽ですが、実際汚いかどうかは別にして、私が汚いと感じたらもうその家族は汚いのです。笑)、その家族にも手洗いを求めるようになっていきました。
そして、私の家族は、手洗いの要求に従ってしまうという、強迫性障害の家族の対応として、決してやってはいけないことをしてしまっていたのです(当時は小児強迫性障害の情報が少なく、この時点ではまだ、どう対応するべきなのか、家族も理解できていなかったので難しかったと思います)。
このように家族をもコントロールし始め、要求が通れば通るだけ、私の強迫性障害の症状はどんどんエスカレートしていくことになりました。こうして、少しでも「汚い」と気になったら、手洗いを強制し、儀式行動も強制するようになります。
このように、強迫性障害の症状が激しくなっていくに従い、私は私の周囲を完璧に(実際は汚くないが概念的に)綺麗にするため、寝る間も惜しむことなく、時に武力を行使してまでも(笑)、完璧に支配し始めました。
ここまで強迫性障害を拗らした私はその当時10歳。一日中手を洗い、風呂に入り、家族にも手洗いを強制する。こうなると、もうまともな社会生活を送ることはできていませんでした。
そして、小学校4年生の冬(いっていませんが)。ついに強迫性障害の入院治療をする決断が下ります(私はその決断のプロセスに関与していませんでしたので、半ば騙されて入院することになりました。笑)
この件に関しては、またのちほど詳しく書こうと思います〜
こうして強迫性障害の入院治療を3年ほど行い、無事になんとかまともな社会生活を送れるようになりました。あの時、入院治療をする決断を下してくれた両親にはいまは感謝しています。いまは。笑
どうしても気になることがあったとしても
(私の場合は汚いと感じるものを他者が触ったため、その人に手を洗って欲しいという欲求)
他者に行動の強制をしてはならない
(この場合、先ほどの他者に手を洗って欲しいと頼むこと)
当然のことだと感じると思いますが、これが出来ないのが強迫性障害なんだと思います。
最近、職場で上司に
「たぬさんは、少々私たちが汚い物を触ったりしても、手洗いを求めてこないですね」
と言われました。
私は今、強迫性障害”な”人として、社会生活をかろうじで送れているんだな〜
と実感した次第でありましたので、今日はこれをここに記したいと思います。
それでは
たぬでした
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